朝顔 は 秋の季語


朝顔
とても好きな花。
「利休の朝顔の茶会」
を知った時、衝撃的だった。
日本人の美学を象徴している花のようで
私の心の中に、一輪の朝顔の花が咲いた。

その花は、どこまでもシンプルで
引き算の美しさがあった。


大人になって
私の心の中に咲いていた朝顔に出逢うことができた。
その朝顔は、都会の河川に野生化して咲いていた。
種を分けていただき
心の中の朝顔は、現実の世界にも咲いた。


それから毎年
「利休の朝顔」の種として
命を繋いでいる。


育ててわかったこと。
利休朝顔は、晩夏に咲く。


盛夏に、葉で、日よけになればと
5月に室内で発芽させたりするのだが


自然界では、梅雨が明けたころ
7月ごろに発芽し9月に花が咲く。


朝顔なのに、なぜ、夏に咲かない?
不思議だなと思ってたが
それが自然だった。


もともとは、秋の花だった。


私の朝顔
江戸時代からつづく朝顔ではないだろうか


これからも、私の命がこの世にあるかぎり
毎年、花を咲かせておくれ。


私の朝顔
大切な家族。
そして種は、大切な財産。


だれも、興味もってもらえなくてもいい。
私の心の中の花だから。





朝顔図屏風:鈴木其一



日本への到来は、奈良時代末期に遣唐使がその種子を薬として持ち帰ったものが初めとされる。アサガオの種の芽になる部分には下剤の作用がある成分がたくさん含まれており、漢名では「牽牛子(けんごし)」と呼ばれ、奈良時代平安時代には薬用植物として扱われていた。和漢三才図絵には4品種が紹介されている。


朝顔は別名「牽牛」といい、これは中華文化圏での名称でもあるが、朝顔の種が薬として非常に高価で珍重された事から、贈答された者は牛を引いて御礼をしたという謂れである。平安時代に日本にも伝わり、百薬の長として珍重された。
その後、江戸時代には七夕の頃に咲く事と、牽牛にちなみ朝顔の花を「牽牛花」と以前から呼んでいたことから、織姫を指し、転じて朝顔の花を「朝顔姫」と呼ぶようになり、花が咲いた朝顔は「彦星」と「織姫星」が年に一度出会えた事の具現化として縁起の良いものとされた。これらの事により、夏の風物詩としてそのさわやかな花色が広く好まれ、鉢植えの朝顔が牛が牽く荷車に積載されて売り歩かれるようになった。


朝顔の茶会
千利休は満開のアサガオを一輪を残して全て摘み取り、見物に来た豊臣秀吉を迎えた。秀吉はいぶかしんだが、茶席に生けられた一輪の朝顔に感動したと伝えられる。利休が茶の心を示した故事である。


花言葉
「はかない恋」「愛情」「平静」。


朝顔」は夏ではなく秋の季語である。