阿波晩茶

腸内環境を整えるお茶、阿波番茶
こちらより転載

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 夏になると阿波晩茶が出回るシーズンとなる。このなんとも不思議な茶葉が私のふるさと徳島に古くから伝わっている。昨年の夏にもこのお茶について少しお話しましたが、今回は改めて世界でも珍しい阿波晩茶について紹介したいと思います。

 阿波晩茶はどんなお茶か、その辺からご紹介しましょう。今、阿波晩茶を作っているのは徳島県の中の上勝町相生町というごく限られた地域でしか生産されていません。しかしこのお茶には地元で根強い人気があり、毎年100トンを越える生産量があるといわれています。なにが珍しいのか、それは後発酵茶といわれる漬物茶なのです。お茶の葉を漬物にするために茶葉は乳酸発酵などの嫌気性発酵を起こして乳酸などいろいろな有機酸を多く含むのです。地元ではこれを番茶として昔から飲んでいたのですが、一般的に使われる番茶の名前と混同される、ということで最近では晩茶と呼ぶことも多い。

 一般的に私たちが番茶というと、春の新茶のシーズンから一番茶、二番茶、三番茶と煎茶の生産が進み、遅くに生産される緑茶を総称して番茶と呼んでいる。しかし、ここで取り上げる阿波晩茶は7月の後半になって、地元に古くから生えているヤマチャの、充分に成熟した葉を一度に全て収穫して桶に漬け込むというもので、後発酵茶と分類されるものできわめて珍しい茶葉なのです。そのために一般の番茶と区別するために、春の緑茶と区別して「晩茶」と呼ぶようになったようです。

 阿波晩茶の作り方はまず、7月の終わり頃の充分に育った茶の葉を枝からしごき取り、釜茹でした後舟型の手押し茶擦り器で揉捻して桶にびっしり漬け込む。空気を完全に遮断して、重石を乗せて2〜3週間ほど木の蓋をしておくと、その地域に生息している天然の乳酸菌などが繁殖して茶葉を発酵させる。その後晴天の日に桶から取り出し、筵の上で天日干して乾燥させて出来上がりである。

 いつごろからこのような茶葉を作っていたのか、今となっては知る由もない。しかもこのような工程で作られる茶葉は阿波晩茶のほかにないのです。

 世界には発酵させた茶葉はいくつもあります。ウーロン茶や紅茶も発酵茶ですが、これらは茶葉の持っている酸化酵素によって自己消化した茶であり、本来言われる、微生物による発酵とは少し違っている。この自己消化をどの程度で止めるかによっていろいろな種類のウーロン茶が出来る。さらに私たちが日頃親しんでいる緑茶は全く発酵していない茶葉であり、最初に蒸して葉の酵素を失活させるのが日本の緑茶であり、釜で炒るのが中国の緑茶といえる。

 この阿波晩茶がどの程度珍しいのか、それは同じような茶葉が日本の他の地域では見当たらないことはもちろんですが、中国、東南アジアにもほとんど見られない茶葉のようです。比較的阿波晩茶に似ているのは、中国雲南省の奥地に幻の茶とされる「竹筒茶」がある。これは茶葉を竹筒に詰め込んで土の中に埋め嫌気発酵させたお茶で、飲むときに竹筒を割ってお湯を注いで呑むようですが、一説にはこの茶葉は新芽を詰めておいて発酵して食べる漬物茶とも言われている。いずれにしても中国の奥地から国境を越えてミャンマー、タイ、ラオスが接している一帯にかけた地域にだけ阿波晩茶と同じような茶葉があるようです。徳島と県境を接している高知県の山奥にも碁石茶という後発酵茶が細々と生き残っているようですが、阿波晩茶とは少し作り方が違うようです。この碁石茶は一度好気発酵の段階を踏むものであり、同じ後発酵茶ではあるが若干の違いがある。

 それにしてもなぜ四国の山奥にこんな茶葉が残っているのだろうか。中国やミャンマーの山奥と四国の山奥という、この遠く離れた二つの土地には目に見えない糸で結ばれていたのではないかと憶測もささやかれている。彼らの根拠とされているのが中国奥地の竹筒茶を飲んでいる人たちの立ち居振る舞いです。ここにはいくつかの少数民族が住んでいるが、彼らはお辞儀の仕方などいくつかの私たちと共通する文化を持っているとして日本文化のルーツとする学者もいるようです。まだ確かなことは何一つ分かっていませんが四国の山奥にぽつんとミャンマーや中国の山奥の食文化が生き続けている不思議さには無限の夢が広がります。

 そのように珍しい茶葉の本体はどうなっているのか、いろいろな先生方が阿波晩茶を分析しています。それを見てもやはり阿波晩茶は少し違ったお茶といえるでしょう。まず、色が緑茶の緑と違って黄色とか黄金色とかいわれる透き通った色をしています。これは茶葉の含まれているカテキンが発酵による有機酸によって分解されて赤色を失って黄色に変化しているのです。古い話になりますが、私の学生時代の卒業論文がこの茶葉のカテキン類の構造決定だったのです。純粋のカテキンがろ紙の上で金色に光り輝いていたのを今でも記憶に残っています。カテキン類は酸化重合すると真っ赤な色になります。これが紅茶の色なのです。紅茶にレモンを入れると赤い色が消えていくことを知っているでしょう。阿波晩茶の乳酸、シュウ酸、クエン酸などがカテキンの赤色を消しているのです。だから阿波晩茶は金色になるのです。同じく茶葉に含まれているカフェインも含量が少ない。カフェイン含量は若葉に多く夏の茶葉には少なくなるのです。そのために夜飲んでも眠られるお茶に変化しているのです。お茶に含まれるアミノ酸も緑茶に多いテアニンは少なく、その代わりに発酵によってグルタミン酸アスパラギン酸が増え、緑茶と違った味を形作っています。

 つまり、緑茶を飲んだ時の渋味の元になっているカフェインやカテキンが減って口当たりのいい味に代わり、グルタミン酸などのアミノ酸が増えることによって煎茶と違った刺激の少ない甘味に代わっているのです。日頃お茶といえば煎茶しか飲んでいない私たちにとって、最初は刺激の少ない物足りないお茶と感じるかもしれませんが、飲み続けているとじっくりと阿波晩茶のよさが味わえるのです。

 東京の近所の奥様にこの阿波晩茶を差し上げたら便通が改善されたと喜んでいました。阿波晩茶と便通がどのようにつながっているのか私には分かりませんが、阿波晩茶メーカーのホームページにも便通が良くなることを書き込んでいるので、あるいは乳酸発酵が何らかの便通効果を発揮しているのかもしれません。

 これら阿波晩茶は地元徳島でなければなかなか手に入れることが出来ませんが、インターネットで購入することは可能です。しかし、過疎地の農産物の悲哀は後継者不足です。山間部で生き続けている阿波晩茶にとっても同じことが言えます。機械化されることなく山の斜面で手作りで生産されているこれら阿波晩茶がいつまで行き続けられるかは予測できませんが、このような珍しい茶葉が日本の片隅に今も生き続けていることを知って欲しいと思います。





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阿波晩茶(あわばんちゃ)とは、徳島県那賀郡那賀町(旧相生町域)や勝浦郡上勝町などの特産品となっている乳酸発酵茶の総称である。平成24年8月8日に阿波晩茶を100%のいろどり晩茶ペットボトル500mlが発売されている。
阿波番茶とも書いていたが、番茶とは使用する茶葉や製法が異なるため、阿波晩茶と書くように変わりつつある。
目次 [非表示]
1 製法
2 成分
3 産地
4 脚注
5 関連項目
6 外部リンク
製法[編集]
地元に古くから自生しているヤマチャの、新芽ではなく、夏まで大きく育てた一番茶を7月中頃以降に枝からしごき取る
柔らかい新芽を発酵させると溶けてしまうため。摘み取る時期が遅いことから、阿波晩茶と書くようになった。(ただし、番茶もかつては同じ理由で晩茶と書いていたという説がある。)
茶葉は1枚残らずしごき取る。昔はぼろ布を裂き、親指・人差し指・中指をぐるぐる巻きにして行っていた。今は厚手の軍手をはめて行っている。指先に針金を巻く人もいる[1]。
真夏の暑さを避けるため、青いビニールシートをテントのように張ってその下で茶葉を摘む。以前は各人でこうもり傘を差していた[1]。
加工に無駄がないよう、摘んだ茶葉は数日分を貯めておく[1]。
釜ゆでした後、揉捻機や舟型の手押し茶擦り器で揉捻する
手押し茶擦り器とは、底にシュロなどを敷いた細長い箱に煮た茶葉を入れ、洗濯板のような歯を刻んだ板の両側に把手をつけ、両側から人が押し合って茶葉をごりごり撚る道具である。那賀町では揉捻機が使用される一方、小規模生産が主流の上勝町では手押し茶擦り器がまだ健在である。人手不足のため、把手の片側にモーターをつけた半機械式の茶擦り器が流行している[1]。
樽で10日〜3週間漬け込み、植物性乳酸菌に嫌気発酵させる
茶葉を嫌気発酵させる地域はかつて、他に高知県碁石茶)や中国雲南省 · ミャンマー · タイ · ラオスが接している一帯にかけた地域(ミアン)に限られていた。珍しい製法である。
天日で乾燥させる
1日3回裏返して、十分乾燥させる[1]。
成分[編集]
カテキンが少ない
発酵でできた有機酸によって分解されるため。渋味が少なくなり口当たりが良くなる。
カフェインが少ない
成長した茶葉にはカフェインが少ないため。こちらも渋味が少なくなり口当たりが良くなる。
緑茶に多いテアニンが少なく、グルタミン酸アスパラギン酸は多い。
刺激の少ない甘味になる。
産地[編集]
徳島県勝浦郡上勝町 : 上勝晩茶、神田(じでん)茶
徳島県那賀郡那賀町(旧相生町域) : 相生晩茶
徳島県の上記の山間部に古来からのみ地域のみの生産である。