野菜のブーケ・エディブルフラワー・野菜の花束



野菜の花束
野菜のブーケ



春になると作りたくなる。
ヴェジセレブの小さな小さな1坪の庭で
たくさんの野菜の花達を育ててきたことが すっごく懐かしい、、
京都に引越して、その15倍の大きさの菜園を持つことができた
小さくて限りある菜園の時は
植物、ひとつ、ひとつを
愛し慈しんでいた
大きいことに憧れていた私は間違ってたのかもしれない。




恵まれている環境では
大切な コト、に、気づかないのかもしれない、、



憧れのボリジの花


初めて食べた時、
キュウリの味がして驚いた。
自分の手で、育ててみたくて、
種、一粒、一粒を大切に、毎日見守ってたっけ、、
初めて花を咲かせてくれた時、
すっごく嬉しくて
食べることができななった、、
小さな小さな菜園を
気に入ってくれて、たくさんの莟をつけてくれた
毎日、何も言わずに、たくさんの花を咲かせてくれた


野菜のブーケにできるほどにまで
立派に成長してくれた。


可愛くて、可愛くて、
『お前、なんて可愛いんだ、、』って
毎日話しかけた。


そんなことしてたら。


秋になっても、
冬になっても、
枯れずにずっと傍にいてくれたっけ。
雪がふって、葉っぱに雪がつもっても
花を咲かせてくれた。
そんなこと、植物辞典には載ってない。


私が大好きだから、
それに答えるように、、
ボリジにとって冬は、
生き延びれないくらい寒いから、
葉っぱに毛をたくさんはやして耐えてくれた
そんな姿をみると、涙がでた。
植物学ではありえないことなのかもしれない。



冬のボリジの花は
深い青色だった。
力を振り絞って、
花を咲かせてくれた。


毎年、春になると傍にいてくれた
ボリジが、いない。
小さな小さな1坪の菜園は
私の家族だった。


寂しさがこみ上げてくる。


また、逢いたい、、


冬の深青のボリジには
心が純粋でないと
遭えないのかもしれない。


広い農園に憧れたいまの私は、不純だ。