ひとりごと・分かち合う。

ひとりごと



命をいただく。
人間は食べないと生きていけない。
それは、動物や植物などの「命」をいただくということ。


野菜をオーガニックで育ててると
大切なことを教えてくれます。


私は、
命を奪い取るような、採取の仕方ができなくなりました。
例えば、ルッコラの葉も、生命の成長に合わせて、
下の葉っぱから、すこしづつわけていただきます。
そして、花を咲かせて、種をつけ、命を全うするまで見守ります。
花も、来世に命をつなぐ分を残して、分けていただきます。


心優しそうな人でも
植物との接し方をみて「???」ってことをされる方が
実は、たくさんいらっしゃいます。


小さなベイビー(種が発芽した小さな双葉達)を足で踏みつけても気づかないで


「野菜好き〜」
「可愛い〜」


って、ニコニコしておっしゃってる方が
たくさんいらっしゃいます。


私は
「足下を見て。ベイビーを踏んでいますよ。」


と、伝えます。
その時「とても可哀相なことした」という顔と言葉をなさられるけど。


また、違うところで、ベイビーを踏みつけたりしています(笑)


すこしくらい、踏まれても、自然淘汰される分もあるので
いいと思いますが、
そういう方は、根本的なことが欠落してるように感じます。


「勉強してないから知らなかった」
「教えてもらわなかった」
「経験値が足りない」


いうことで、自己正当化しようとされます。
そういう問題で、しょうか?
勉強して経験値を高めれば、愛をもって行動できるようになるでしょうか?
教えてもらったこと、教科書に書いてることを覚えるだけでは
愛のある行動はできません。
自然界には、予想外、想定外の現象がたくさんおきます。
人生も同じです。
そのすべてを、テキストにすることも、教わることもできません。


「自然の摂理」を感じ取り
応用力や機転をきかせた正しい回答をだす能力がなければ
愛のある行動はできないと思います。


感じる能力のある方は、
「知識や経験値がなくても」
一言「ベイビーがいます」と伝えると


「観察力や洞察力」を使い
上手に踏まないで行動できる人もいるからです。


そういう方は、一方通行の愛でなく
双方から見つめる愛をお持ちです。


しかし、、
この違いは何なんだろう。
って、いつも考えていました。


・・・


シェアさせていただいた、


動物の虐殺や
大量死など


世の中は、悲しくなる出来事がたくさんあります。


「かわいそう」
「ひどい」


って、みんな思う。


だけど、
実は、気づかないとこで
大量虐殺を、しているんじゃないかしら。


私も気づかないとこで、してしまってたし
いま、電気を使ってパソコンしてることも
たくさんの犠牲の上になりたっている。


・・・


いま、自分にできること。


身近な植物や
自分が食べる野菜や動物や魚に対して
命を余すとこなく大切にいただき
生かさせていただく。


そして


数少ない、感じ合える人の
愛を静かに心に宿して
植物と虫と鳥と、静かに暮らすこと。


私は究極の寂しがり屋で、
たくさんの知人や友人もいました。
だけど、いまは、ひとりでいる方が、寂しくなくなりました。


感じ合えない人と一緒にいると、、
もっと寂しくなるからです。


愛の大きさが違う人と一緒にいると、、
もっと寂しくなるからです。


ほんとうに分かち合える人が、この世に一人いれば。
それでいい。
幸せとはそういうことかもしれません。
動植物は、みなそうなのかもしれません。


合掌