【映画】美しき緑の星


いま、私たちは、
文明が発達してると思っている。


しかし、
3000年先の未来からみると、古代文明
そう、未来からみたら、原始時代レベル


自分がスゴイと思ってることも
ぜんぜんスゴくない。


貨幣社会。
大量消費社会。
地位名誉お金を重要とし
争いがたえない。


これって、
犬のテリトリー争いと
ほとんど変わらない。
獣の思考。


仕事でイラっとしたり
家庭でイラっとしたり


あー恥ずかしい。
原始時代だな。


原始人が、未来を想像しても
原始的発想しかできないだろう。


だから、原始人。



この映画は
本当の知性あふれる人間として
進化した世界をみせてくれます


以下からダウンロードして視聴できます(2015年5月14日まで)
ダウンロードキーは空欄でOK

日本語字幕つき「美しき緑の星」全編
http://16.gigafile.nu/feffdba0460a07




http://www.youtube.com/watch?v=RslSNu9exEY#t=5260


私は、この映画の人々のように
命をまっとうするまで、この世で、進化することできるだろうか?
90歳まで生きれるとして
50年鍛錬したらなれるのだろうか?


しかし、、
これまで蓄積した、毒が
カラダとココロにいっぱいだからなぁ。。


まずは、すこしずつ、固定観念デトックス


この映画に出逢えて
メルシー♪



美しき緑の星・日本語字幕版
コリーヌ・セロー監督作品(1996年フランス映画)



【作品紹介】


誰もが協調のうちに暮らし、みんなが幸福で互いに助け合い、何でも分かち合い、お金の必要がなく、自然と共に暮らす世界があったとしたら……そんなの、ありえない?

「美しき緑の星」は他に類を見ないフランス映画です。メディア経営者らの手によってEU内では事実上の発禁状態にあるのです。マイナーなチャンネルで深夜に放送されたことが2回ほどあるのを除けば、1996年以来テレビで放映されたことはありません。ヴァンサン・ランドンやコリーヌ・セローなど有名な俳優が出演しているにもかかわらず、探しても、なかなか見つからないのは、そのためでした。これは世界中の人々に大きな目覚めを呼び起こす映画です。昔から本当のことを隠しておくのは難しいものですが、ちょうどそんなふうに、みなさんも本当のことを知るに至ったというわけです。

どなたにも楽しんでいただける作品です。

GreenBeautiful.szm.com


【作品紹介】
世の中の仕組みを根底から問い直すクレイジーな映画を撮ってみたいと思いました。それで長い時間をかけて考証を行ったのです。無駄になったシーンやアイデアを書き留めたノートが何冊にもなりました。次から次へと疑問が生じたのですが、そのすべてに答えが得られたわけではありません。そうして、風にそよぐ木々に見守られながら、台本の執筆に取りかかったのでした。

完成した台本を見た人たちの反応は実にさまざまでした。このプロジェクトの資金援助には乗り気でない人たちが何人もいるとプロデューサーのアラン・サルドが言います。「本当にこの映画を撮るつもりですか?」と彼が言うので、私は熱を込めて「もちろんです」と答えました。

かくして映画は封切られたのですが、完全な失敗でした。誰も興味を示さなかったのです。客が入らず、批評家からは酷評されました。業界にとって、この作品は理解不能のUFOだったのです。しかし、この映画は死にませんでした。こうした逆風にもかかわらず「美しき緑の星」は生き残り、生き物のように成長し、人の話題となったのです。この映画が必要とされているからでした。この映画が世の中に発するメッセージのためだったのです。一緒に映画を見て語り合う「美しき緑の星」クラブのサイトが、いくつもインターネットに見られるようになりました。

私は早すぎたのでしょうか? この映画のように価値観を根底から問い直すことで世の中を変えることが必要な、ぎりぎりの瀬戸際まで私たちは来ているのかもしれません。

コリーヌ・セロー


【監督インタビュー】
コリーヌ・セローストーリーテラーですが、自分では好んで道化と名乗っています。彼女はまた女優、音楽家空中ブランコ乗り、著名な脚本家でもあり、常に時代の空気を反映した映画を作る監督でもあるのです。「美しき緑の星」ではユートピア的な世界からやって来て、現代社会の問題と直面する宇宙人の役を演じました。

フィガロ紙: どうして寓話にするのでしょうか?

コリーヌ・セロー: 現実的すぎる映画には興味がありません。私はストーリーテラーですからね。例え話や寓喩は、普遍性のあるメッセージを楽しい物語として人に伝えていく、とてもいい方法だと思います。(後略)

フィガロ紙: 宇宙人の着想は、どこから得たのですか?

コリーヌ・セロー: それは単なる方便です。宇宙人の存在を信じているわけではなく、世の中を眺める違った視点があることを示したかったのです。似たような経験は誰にもあるはずです。自分が中心だと考えることを止めざるをえない時期があるでしょう。子供時代というのはいいものですが、それも長くは続きません。(後略)

フィガロ紙: あなたは警世家、闘士でしょうか?

コリーヌ・セロー: まさか! 私は道化です。私にとって道化とは世の中で神聖な役割を果たす者なのです。私はそのために生まれてきたのであり、それを楽しんでやっています。道化というのは、おどけ者です。本当のことを語ります。それは耳に痛いのですが、それで笑わせて楽しませてくれるのです。(後略)

聞き手: エマニュエル・フロワ(フィガロ紙)